翳りゆく街
埼玉県蕨市、特に戸田市寄りの西口は衰退の一途をたどっています。
ここ30年ほどの間に蕨駅を最寄り駅としていた、市内や隣接する
戸田市の大工場が相次いで郊外に移転しました。
それに追い打ちをかけたのが1985年に開通した埼京線で、
それまで京浜東北線の蕨駅を利用していた人の流れが大きく
変わりました。
蕨駅西口には駅前から旧中山道に至る1kmほどの商店街がありますが、
年々元気がなくなり、今ではシャッターが降りたままの店、店舗を
壊してできた駐車場などが目立ちます。
市の人口こそ1985年比で3%ほど増加していますが、東口はまだしも
西口の衰退は誰の目にも明らかです。
蕨市の一大イベントとして「機祭り」という七夕祭りが毎年8月
上旬の4日間行われますが、これも人出は減る一方。
今年も2日から5日まで開催されていて、様子を見に行きましたが、
七夕の飾りつけはまばらにしかありません。
以前はこのおよそ1kmの商店街にびっしりと七夕の飾りつけが
ありました。
周辺の商店や会社が競い合うように趣向を凝らした飾りを作り、
見るのも楽しいものでしたが、今では飾りを作っている商店や
会社は10社前後と思われます。
飾りだけではなく人出も驚くほど少なく、以前は通りの両側に
びっしり並んでいた露店も今はまばらにしか出ていません。
生まれ育った町より蕨に移ってからの年数が長くなった今、
「住めば都」の例えどおり蕨市に愛着も湧いてきました。
自分の住む町が徐々に衰退して行く様は寂しいものです。
<駅前の看板>

<以前はこういう飾りがびっしりだったが>

<飾りも露店もまばら>

<商店街を代表する100年続いた食品店も経営不振で6月に廃業>

<通り沿いには駐車場も目立つ>

ここ30年ほどの間に蕨駅を最寄り駅としていた、市内や隣接する
戸田市の大工場が相次いで郊外に移転しました。
それに追い打ちをかけたのが1985年に開通した埼京線で、
それまで京浜東北線の蕨駅を利用していた人の流れが大きく
変わりました。
蕨駅西口には駅前から旧中山道に至る1kmほどの商店街がありますが、
年々元気がなくなり、今ではシャッターが降りたままの店、店舗を
壊してできた駐車場などが目立ちます。
市の人口こそ1985年比で3%ほど増加していますが、東口はまだしも
西口の衰退は誰の目にも明らかです。
蕨市の一大イベントとして「機祭り」という七夕祭りが毎年8月
上旬の4日間行われますが、これも人出は減る一方。
今年も2日から5日まで開催されていて、様子を見に行きましたが、
七夕の飾りつけはまばらにしかありません。
以前はこのおよそ1kmの商店街にびっしりと七夕の飾りつけが
ありました。
周辺の商店や会社が競い合うように趣向を凝らした飾りを作り、
見るのも楽しいものでしたが、今では飾りを作っている商店や
会社は10社前後と思われます。
飾りだけではなく人出も驚くほど少なく、以前は通りの両側に
びっしり並んでいた露店も今はまばらにしか出ていません。
生まれ育った町より蕨に移ってからの年数が長くなった今、
「住めば都」の例えどおり蕨市に愛着も湧いてきました。
自分の住む町が徐々に衰退して行く様は寂しいものです。
<駅前の看板>

<以前はこういう飾りがびっしりだったが>

<飾りも露店もまばら>

<商店街を代表する100年続いた食品店も経営不振で6月に廃業>

<通り沿いには駐車場も目立つ>

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